2011年3月11日の帰宅困難者

あれから2回目の夜。一昨日の金曜日の14:50から、この国はなんと変わってしまったことだろう。23区は震度5強だったそうですが、ラッキーなことに、耐震構造がしっかりしているビルのある自分の職場にいたこと、直下型の地震ではなかったことから、驚愕・緊張はしたけど、恐怖は感じず、そして、無傷。ただ、揺れるキャビネを押さえながら「この揺れ、遠いところで大変なことがおこっている…」と直感しましたが、それ以上の壊滅的な状況が、これでもかこれでもかとTVで流され、これが現実に起きていることとは信じられない、としか言葉が見つかりません。
世界史上5番目のスケールの地震とその災害。各国のメジャー紙の一面を独占した、文字通り、世界を震撼・旋律させた未曾有の大災害。
zabbonもそれなりに巻き込まれました。地震直後、首都圏の交通機関は全てマヒし、即座に全員が帰宅困難者に。同じ方向の人がいなくて独りだから、家に帰り着けるか不安でしたが、家に歩いて帰る覚悟を決めました。ペットボトルとお菓子(あの地震直後に「お菓子焼いたの〜」とプレゼントしてくれた友人がいました) と家までの地図といつもの携帯品をバッグに入れ、火事に巻き込まれた時に大やけどをしないようストッキングを脱ぎ、スニーカーのひもを締め直し、死んだ時に身元がすぐにわかるように社員証を胸にかけ、いざ出発。ほとんど出陣モードです。
さすがに水杯は交わしませんでしたが、出る時、職場の人にかけられた「気をつけてね!」とか「どうぞご無事で」などの言葉が、今が緊急災害時であることを意識させ、さらに緊張感が募ります。
大通りに出ると同じような人が道路にあふれんばかり。zabbonは少数派の人の流れに乗っていたので歩きにくい。でも、真ん前にペースのぴったり合う知らないおじさまが歩いていたので、ご本人無承諾の上で「ラビット」になってもらい、とても助かりました(ありがとう、おじさま)。あと、パンツスーツにスニーカーだったのももっけの幸い。スニーカーは、毎朝のウォーキングのため通勤時に履いているのですが、これのおかげで軽快に歩けました。こういう時の服装と履き物は何よりも大切なのかもしれません。
渋滞で動かない車の群れを横目で見ながら、ひたすら歩きます。ヘルメットをかぶっている男女混合グループ、よもやま話のおじさん3人組、女子2名(恋バナ中)、パンをかじりながら歩く若い男性達、自転車の前後ろに子供をのせ、プードルをリードでひいて街を走る若いお母さん、公園でお弁当を食すアラフォー女子、そして、大多数を占める、同じようにひとり黙々とあるく人達。
途中、街頭テレビで「JR全線は終日運転を見合わせました」という報道にひっくりかえりそうになるくらい驚き、公衆電話に並ぶ約100名の列が2本、という光景にびっくりし、さらに、隅田川を渡るところで河が逆流しているのを目撃、コロロッカかと思ったら、それが津波と知り、それがこの徒歩の旅、最大の驚愕となりました。
驚愕と緊張と焦りに満ちた行程が終わった時の安堵感と言ったら…!
家族も親戚筋も職場の面々も、それなりの苦労があるにはあったけど、みんな生きてて無事ということのかけがえのなさを、これほど身を以て実感したことはありません。残りの人生、悔いのないよう、人様のお役に立てるよう、この命を使っていきたいと切に思いました。

ですので、今回の震災でお亡くなりになった方々のご冥福と、一人でも多くの方のご無事と、一日も早い復興、これらのことを心の底から真に真に、願ってやみません。