電気に頼り切り生活への反省

正直言って、こんなテーマ、被災地で辛く苦しい思いをされている方がいる中で、こうして書くべきではないと思います。けれど、zabbonの身の回りで起こったできごとから考えたことは、ちっぽけではあるけれど、それなりの「気づき」=「正しい勘」なんだと思うので書こうと思います。
この一週間、首都圏近郊で、毎朝毎晩のように繰り広げられた通勤難。昨日など、「緊急節電対策」で首都圏の人が慌てふためいて駅を走る姿は、まるで蜘蛛の子を散らすかのよう。 そういえば、月曜日の朝も、友人曰く「戦後の買い出し列車」のようだったです。(実際にそれに乗ったり見たりしたわけではないと思いますが。)
地下鉄構内の電灯も、ところどころ消えている間引き点灯。角っこの暗いところは、そのむこうに何かがいるんではないかと、ふと思わせるミステリアスな薄暗がり。使用者が少ないエスカレーターは止まり、ついでに通行止めになっているので、一生懸命、階段を上ったり。
職場では天井灯が全て消されてるから、夕方4時半になると、もう手元の書類を読むことが困難になってきます。なので、これ幸いと仕事を終わらせて帰るけど、電車がちゃんとくるかどうか心配で心配で、最寄り駅について、ようやくホッとする次第。
これまでの生活って、こんなにも電気に頼り切ってたんだなぁ、と心底しみじみ痛感した、この1週間でした。それは、zabbonに限らず、日本人全体にとっても、とてもぜいたくなことで、これは反省せねばならないことなのかも。今、生活必需品から娯楽用品まで、本当にたくさんの電気製品やITツールに囲まれて暮らしているけど、それって本当に必要?って。
電子レンジがなくても、ご飯は、ガスレンジでせいろ使ってふかした方がおいしいってことを今週、発見したし、通勤先は歩いて2時間以内(電車だと30〜40分)のところにあるのがいろんな意味であるべきの姿だと思うし、暗くなったらそれを合図に仕事をやめて、早く家に帰って、早寝早起きする生活の方が、生き物としての人間に合っているんじゃないかと思うし。それに、電気って、便利で快適な生活をもたらすやさしい姿を装いつつ、しかし、よけいな仕事を増やしているのが、その正体ってな気がしないでもないです。
奇しくも、最近「片付け」がブームになっていて、zabbonにとっても気になるアイテムだけど、生活やライフスタイル自体の「断舎離」も必要なんじゃないかと思います。でも、できるかな? あ、でも、発電所があんなんじゃ、いやでも取り組まなければいけないのかな? だったら、まずは考え方を入れ替えることから始めないと。