野菜サラダ

zabbon2006-09-10

土曜日の昨夜、チョイと近所に呑みに行って、サンマの塩焼きを1人1本ずつ食す、ということをしましたが、外食をするとどうしてもつきまとうのが野菜不足。…こう、なにやら体が乾いたような感じがしてくるんですね。で、話は飛んで、帰宅後、家族がドアに指を挟む、という災難に遭遇。よくありがちな家庭内事故です。
ドアに指を挟むって、軽〜くコミカルに聞こえますが、どうしてどうして、大けがです。指先には神経が集まっているので、たぶん、とても痛いのだと思います。なので、ご本人、非常に痛がり、「ズキズキ痛くて動くこともできない」と非常に辛そうに苦痛を訴えます。
でも、傍観者たるzabbon、ここだけの話、ほんの少し、「指を挟んだくらいで大ゲサだなぁ」などと、半分軽く考えるものの、しかし、途中から考え直します。
その痛みは自分のものではない。自分のものでない以上、それを、大げさかであるか否かをzabbonが判断するのは、例え、家族同士と言えども、越権行為ではなかろうか。少なくとも、ご本人は、その痛みを全て、自らのものとして引き受け、耐えており、その本人が「痛い」というのなら、それを四の五の言わずに、「そうかそうか」とそのまま肯定してやるのが、傍にいる者としての勤めなのではないか、と。それを「単なる切り傷じゃん」とか「そんなに痛がるなんて情けない。」などと、こっちの勝手な思惑で問題をディスカウントするのは、よくないのではないか、と。
なので、いたわりながら、優しく(←ホントかいな?)見守ります。
そして、一夜明けた日曜日の今日。
怪我は大して治っておらず、相変わらず痛がり、そして、野菜を食べたがります。本人曰く「怪我をしたから、体がビタミンを欲しているけど、昨日は満足に食べてないからかも。」
こういう事情で、今夜はサラダを添えました。
最初は、おひたしのような火を通した野菜料理を考えたのですが、人間の体の治癒力を高めるには、ビタミンだけでなく、野菜の生命エネルギーも頂く必要があるのではないか、と思ったので、生野菜サラダにしました。前に、単なる生野菜に「野菜の躍り食い」などと名付けているのを見て「うまいこと言ったもんだ」と感心したことがありますが、そのノリで、まだ生きている野菜達のそのエナジーを頂こう、というワケです。
で、結局、選んだのはトマト、キュウリ、レタス、アルファルファ等々の野菜達。でも、そういう目で見てみると、旬の野菜って、その他の野菜に比べて実にイキイキしているなぁ、とあらためて目を奪われます。アルファルファはその性質柄、元気だし。
食べる時も、野菜のエネルギーを頂くんだ、と思いながら口に入れると気のせいか感じが違う。元気に咲いてる花から出ているエネルギー様のものと同じ感じがあるような気さえ…。まるでキチェ・サージャリアン。
それにしても、人間って、ほかの生き物のお命を頂かなければ、生きていけない存在であることを、もう一度、教わったような気がします。これからの先の自分、今日の野菜達と、一緒に生きてくんだなぁ。