いくら丼

zabbon2006-10-02

このおいしさには、頭をガツンとされました。味の覚醒とはこのことです。
これほどのものとは、夢にも思っていませんでした。

のっけから、何を1人でよばわっているかというと、いくら丼のいくらのおいしさの感動を言葉にしたかったからです。
このいくら、そんじょそこらのいくらではありません。自分達で買ってきた筋子から、自分達で作ったいくらです。
つまり、手作りのいくらです。生まれて初めてのチャレンジです。
世の中には、鮭の卵がバラバラになった「いくら」と、袋に入ったままの「筋子」の2つがありますが、自然本来の姿の鮭の卵は、袋に入ったままの方の筋子です。いくらのように、一粒一粒がバラバラになっているのは、自然界ではあり得ない現象です。
zabbon達も、買ってきた筋子を自然のままで楽しむかどうか、と家族会議で検討したのですが、やはり、せっかくなので、手をかけて「いくら」に華麗なる変身を遂げさせようではないか、という結論に至りました。
でも、北海道の人が使っているような、筋子ほぐし用の網などあるはずがありません。筋子ほぐし用網とは、きくところによるとマス目の一つ一ついくら大になっていて、そこで、ゴシゴシとこすると筋子がいくらになるという便利ツールなんだそうです。
しかたないので、手で1つ1つ、粒をほぐしていくことに。
最初に、生理食塩水をボールに用意します。そして、そこに、各自の担当分の筋子を浸します。そして、見た目よりも丈夫で透明な薄皮を破りながら、一つ一つ、赤くて透き通った粒々を出していくのです。
中には、雑に取り扱ってしまったせいか、つぶれてしまった卵もあり、もったいない〜と涙しました。
この作業、最初は、面倒でした。でも、ふと、気づきます。
この作業って、緩衝材のプチプチつぶしととても似ています。
もちろん、絶対に潰さないように、やさしくやさしく扱わなければならないのですが、かえって、そこが、ワンランク上のプチプチつぶしです。
それに、この先に、おいしいゴールが待っていると思うと集中度も高まるのでしょうか。いつしか、「山に籠もった高僧が至ると言われる無我の境地とはこれか?」と思われるような、無痛無覚の時間が流れ、世界は、塩水と赤い粒々に満たされていきます。
ほどなくして、筋子ほぐしは、全て完了。
さわやかな達成感と清涼感が、空間を満たします。

思ったよりも気を遣う作業でしたけど、作業をし始めた時に予想したよりも、早くに終わりました。そして、目の前のボールには、赤くてコロコロのいくら達が、塩水の間に間に漂っています。
幸せな光景です。
その後は、それを、何度か水洗い→残った薄皮やつぶれた卵をとりのぞく→筋子を買った時に、一緒にくっついてたタレ(醤油味)につけこむ、という手順で、完成に向かいます。
そして、一昼夜経った今夜、ワクワクしながらご対面。
その感想といえば、「感動」以外、何者でもありません。
いつものいくらに比べて、皮が固くてプチプチと歯ごたえがいいのです。それから、味も少し濃い感じがします。
自分の手で、筋子から、いくらを作るとこんなにおいしいなんて!
知らなかったこれまでの幾星霜を思うと、後悔の念でいっぱいになります。
でも、これからは鮭が旬の季節。プリン体等々に注意しながら、これまでの遅れを積極的に取り戻すことに、精を出します。