おみくじ

もうそろそろ門松がとれる頃ですが、この期に及んで、お正月ネタを。
さかのぼって3週間ほど前の去年の年末、お誕生という節目の時期でもあったので、一番近い、大きめなお寺にお参りに行き、ついで、気が向いたので、おみくじをひきました。
そうしたら、出てきたのが「末吉」。
末吉は、「終わり良きは全て良し」という意味なので、ある意味、大吉以上の良い結果と言われています。
しかし、終わりの「良し」にたどり着くまでに、予期せぬできごとにぶち当たったり、要らぬ荷物をしょわされたりと、余計なプロセスが盛り込まれている点が、「末吉」たるところで、諸手を挙げて万歳、と言い切れません。
ふと、あの紫キャベツ石けんが頭に浮かびます。
石けん作りの長い道のりの中では、もしかしたら、必要な経験だったのかもしれませんが、どちらかといえば、好きこのんで自ら厄介ごとを招き入れた感があるできごとです。
でも、紫キャベツに限らず、こういう展開、zabbonにありがちですし、それは、今さら、おみくじに言って頂くような特別なことではありません。
なので、ふーん…、という感じでしたが、ちょっと本音を言えば、せめて、おみくじには、「今年は、スマートでオシャレな人生に転換していく最初の年です」みたいなことを言ってもらってもよかったのではないかと思いました。
要するに、おみくじ結果に納得がいかなかったのです。
こういう時は、セカンドオピニオンを求めるのが、クライアントとしての妥当な判断です。
そこで、年が明けて、近所の氏神様にお参りに行った時のこと。新たな結果を求めて、おみくじにリトライします。
すると、出てきたのがやっぱり「末吉」。
ややや? またもや末吉とは?
もしかしたら、末吉は、含有率が高いのかもしれません。
確かに、大吉などはザクザク出たらありがたみがなくなるので、少なめに入れられているってこともありえますし、だとしたら、末吉がその分、増やされているってことも考えられます。
しかし、神様も仏様も口をそろえて「末吉」って言っているのです。
そういえば、最近、よく耳にする「世の中、偶然というものはありません。全て意味があるのです」という言葉。
ホントかどうか、よくわかりませんが、この言葉通りに世の中が動いているのだとすると、そういうことなんだと思います。
なので、覚悟を決めました。
今年も、トホホなできごとで、泣き笑いしていきます。「笑い」がある分、福があります。
しかも、終わりは「良し」なのです。
今年のトホホ達が運んでくる福を楽しみながら、暮らしていこうと心に決めました。