原油高による「全員参加型強制エコ活動」

8月に引き続き、再び原油の値段が上がるんだそうです。 テレビでは、これから春にかけて最盛期を迎える茄子のハウス栽培農家が困っていることや、北海道などの寒い地域の方々が困惑している様子が報道されていましたが、冬に向けて心配です。
その昔、まだzabbonが子供の頃、すでに世の中にはハウス栽培の野菜が溢れていました。 冬のトマトやキュウリ、茄子、インゲン、いちご、すいか。  そんな野菜やくだものをさして、母は、「私たちは、石油を食べているようなものなのよ。」などと、よく言っていましたっけ。 その頃は、「どう見ても、これは野菜なのに、なんで石油なんだろう?」って不思議に思ってたけど、全くその言葉どおり。 そして、だから、母は旬にこだわったごはんを作ってくれてたんだなぁと、大人になってから気づき、賞賛。
消費者が求めるから、冬に夏野菜を店頭に並べてるっていいますが、昔なら、そんな無理難題、山の精霊が叶えてくれない限り、できやしなかったこと。 でも、現代の人間達には出来てしまう。 できなかったことができるようになる、って、ものすごくすばらしいことのように思えるけど、なければないで済ませられることも、済ませられなくなってしまう。 この負の側面って、そこなし沼のようにおっかない。 欲望という淵にぶくぶくと…
そういえば、今日、街で、なんとバブルの頃のスーツを着ている人を見かけました。 ダブルで少しばかり大きめサイズ、そして、言わずもがなの大げさ肩パットに細い縦縞模様。 ちょっと見ただけで、「あっ!バブルスーツだ!」とすぐにわかったくらいの典型バブルスーツです。 あの時代の洋服って、値段が高かった分、今のものに比べて、格段に生地も仕立てもいいんですが、その方のスーツも上質なウール。 仕立てもよさそう。しかも、近くで見ても全然いたんでいません。15年の歳月を越えてきたものとはとても思えないくらい。 でもしかし、どうひいき目に見ても、2007年の今日、バブル時代のデザインは風景に馴染まない…。 
きっと、その方も、「わかっちゃいるけど、もったいなくて捨てられない」って悩んだはず。 でも、それをおして、袖を通した心情を思うと、何やら親近感と人柄の良さを感じてしまいました。 
もし、バブルスーツのデザインが、あんなに特徴的でなければ、今も普通に着られるはずのに。 流行ってなんだろう。 ムダに人々の消費欲求を煽り、浪費させ、挙げ句の果てに、資源の枯渇やら地球温暖化やらといった、ごたいそうな副産物まで作り出す。 …って穿りすぎた見方かもしれないけど、だから、環境保全とかエコ活動の本質って、格好よくなくて快適ではないことなのかもしれません。 だから、みんな本格的にやろうとしない。 あの夏の関東地方の「停電するかも」騒ぎの時でさえ、消費電力量を抑えることができなかったんだもの。 
で、原油高ですが、困っている人もたくさんいるのも事実ですが、これって考えようによっては「全員参加型強制エコ活動」。 いやおうなしの節約・消費抑制。地球環境の維持と保全に繋がっているはず。 ご老人・お子様・ご病人などの社会全体で守るべき立場の方々以外は、積極的、かつ肯定的に受け止め、前向きに参加し、取り組んでもよいのではないかと存じまする。