スギ花粉の季節、鼻と主の関係を考える

さて、本日は特に外は温かかった様子です。
「様子」っていうのは、今日は一歩も家から出なかったので、推測でしかものを言えないわけです。 本当は、こんなふうにするつもりは毛頭なかったのですが、朝、ベランダに出て、ひよどり(←最近はスィートハートと一緒に来るので、減りが早い)のバナナを新しくしてあげたホンの数分、外気に当たっていただけで、鼻がむずるむずるしはじめたのです。 こういう時は家でおとなしくしているにかぎる、ということで、引きこもりを決め込みました。
ところで、zabbonはDecade単位で花粉症と闘ってきましたが、ここにきて、「鼻はむやみにかまないほうがいい」という新規の考察に至りました。
だって、鼻の立場に立ってみれば、 「外から悪いヤツがやってきた。体に入らないうちに、我が輩のスペシャル・リキッド・ウェポンで洗い流してやろうじゃないか。しかも、このリキッドを以てすれば、ヤツらめは二度と入ってこれまい。(フハハ、思い知ったか。)」と判断、一生懸命、鼻水を生産し、仕事をやり遂げるわけです。 この直後の鼻自身の気分としては、おそらく、偉大なる使命を果たした達成感でいっぱいなはずです。 
しかし、そこを他ならぬ、鼻の主であるzabbonが、鼻の成果物であるところのものを「ちーん!」と除去してしまうわけです。 たぶん、この時の鼻自身の気持ちとしては、「あぁぁぁ!なんとことを! せっかくの我がスーパー・スペシャル・リキッド・ウェポンを! 主殿は、一体全体何を考えておられるのだ。」という感じでしょう。 
こういう気分、zabbonも職場で体験しますので、シンパシィを禁じ得ません。 でも、鼻が、zabbonと違う所は、その後ふてくされたりせずに黙々実直に作業を続けることです。傍目からは、どう見ても不毛と思われる仕事を繰り返し行い、その結果、機能不全を起こします。すなわち、スペシャル・リキッド・ウェポンの生産現場がオーバーヒート(炎症)をおこし、花粉症最悪の事態・症状の「鼻づまり」に至らしめてしまうというストーリーです。
これをふまえ、鼻の主としてなすべきことはひとつ。 鼻が主のことを思って作り上げた成果物を無下に却下しない、ということです。 つまり、ある程度の鼻水は、鼻の中に溜め込んでおくことを潔しとすること。これで、鼻と折り合いをつけるというもの。
まぁ、全く鼻をかまないのは無理ですから、3回かむところを1回にとどめる、くらいでいいんじゃないかと思います。
それだけで、ムダにしもべ(=鼻)を働かせなくてもよくなるので、ひょっとしたら、症状が少しは和らぐかも。
考えてみれば、世の中、(zabbonのように)マヌケな部下を抱えるおじさま方が、対処療法でごまかしたり、同僚に愚痴ったりとかしているかもしれませんが、こんな風なマヌケな部下には、それなりの扱い方があるっていうものです。 優秀な部下(=花粉に反応しない羨ましい鼻)よりも痛み分けは大きいですけど、それもまた宿命。 つきあってくのも世渡りなんですな、きっと。