1945年3月10日の東京大空襲

本日、とあるファミレスに行った時の話。 お手洗いでお化粧直しをしていたら、「今の若い人は、髪の毛を長く垂らせてすてきね。」って、初めてお目にかかるおばあさんに話しかけられました。 「私達の頃は、三つ編みとか、結い上げるとかで、そういうふうにする人はいなかったのよ。」って続けます。 なので、「まぁ、そうなんですか」って言ったら、
「そう、昭和20年。私の娘時代。今、私は85才なの。 東京に空襲があって、10万人が亡くなったけど、私は生き延びることができたの。」
隅田川のそばに住んでいたんだけど、空襲の時は、庭の池に弟と妹の手を引いて飛び込んだから助かったの。 周りの人は、あちらでもこちらでも燃えるの。 火を浴びたわけでないのに自然に発火するのよ。 私たちは、家の水を浴びていたから大丈夫だったけど。」
「去年、NHKで、東京大空襲がやっていた時、語り継がなければ、と話していた方がいたけど、私もそうしようと思って、バス停とかでも、こうやって話すことにしているの。」

と、彼女が22才の時に遭遇した大災厄の話を、見も知らぬzabbonに語り聞かせてくれました。 そのおばあさんがおっしゃってたNHKの番組はzabbonも見ましたが、その様子を描いた燃える炎に包まれた街の様子を描いた絵も見たし、胸がつぶれるような悲しい話が語られるのもも聞いて、今もズッシリ胸にこたえています。  着ているものが自然発火する温度だったということも、初めて聞くことではないと思います。 他の人から、隅田川の水が煮えた、という話も聞いたことがあります。
けど、目の前の、実際に体験した方から伺う話の重さは、63年の時間と空間を一気に飛び越えさせる何かがあります。 貴重な話。聞き流してはいけない話。 聞いた時に心に響いた重たい衝撃を忘れてはいけない話。 そして、いくばくかでも伝えなければいけない話。
だから、ざぼんに書かなくては…って思いました。