キャンディ・キャンディを再読する

9月に入り、2つの台風が日本列島に甚大な被害をもたらし、そして、昨日と今日は、うってかわって、日本晴れの呈をなす晴天模様。空というものは、本当にころころと変わるものです。
その空、今から100年くらい前は、特殊な人しか行くことができない世界でした。飛行船を持っているヨーロッパの貴族とか、軍隊の人とか、大富豪・アードレー家の一員のアリステア・コーンウウェルとか。
確か彼は、第一次世界大戦の戦場、ヨーロッパの空に華と散ったんだったけ…。取り乱したパティが後を追って死のうと取り出したナイフをキャンディがたたき落とし、ついでに、その頬をバシッとたたき、「パティのバカ!」と叫んだシーンは、涙なしでは読めません。
いきなり、キャンディ・キャンディになってしまいましたが、世の中、数あまたの復刻版のマンガが出回る中、なぜかキャンディ・キャンディだけは復刻されないもどかしさ。
しかし…、ふっふっふ。待ち望んでみるものです。先だっての実家の引越の時に出て参りました、キャンディ・キャンディが。ものは大事にとっておくものです。断舎離する時は、本当に必要かどうか、心の底から検討しないといけません。ところどころページがはがれそうになっていたり、黄ばんだりしていますが、おかげさまで全巻揃っています。
この映像は、4巻の内表紙を撮影したものですが、なぜかリボンがピンクに塗られています。なぜなら、まだ小さかりし頃のzabbonもしくはponkanが塗ったからです。
なぜ塗ったのか。なぜリボンだけなのか。疑問は尽きませんが、子供というものは大体において、こんなものでしょう。
で、ン十年ぶりに全巻読破。大人目線から読むと、キャンディがイギリスに渡るまでのテーマと、その後の展開テーマが全然、変わってしまっているのが興味深いのです。
最初は、キャンディの「本当の母」探しの物語かと思ったら、後半のテーマは「女の自立」になっていました。たぶん、作者の心境の変化があったのでしょう。確かに、アードレー家のお嬢様でいた前半よりも、退学届けを学院長にたたきつけるあたりから始まる後半の方が、ガゼン物語は面白いのです。
自立を目指し看護婦の勉強を進める傍ら、テリィというショー・ビズ関連のイケメン貴族(←身分が高いのが麗しい)との悲恋が繰り広げられ、その背景では、第一次世界大戦が重いムードを添え、物語に重厚感を添えたりしています。後半のキャンディは15〜6才なのですが、あの赤毛のアンの娘のリラと、ほぼ同い年である点も忘れてはなりません。青春時代を戦時下で過ごす、お若い娘さん方の悲哀とたくましさと明るさに触れると、なんだか元気が出てくる気がします。
そうそう、ニールとイライザの存在も大切。決して忘れてはいけません。たぶん、zabbon世代にとって、この2人の名前は、終生「悪役」としてつきまとうものにちがいありません。マイ・フェア・レディのヒロインだって同じ扱いです。
あと、登場人物のファッションがかわいくていいなぁって思います。100年前の人は、リボンやらレースやらをヒラヒラさせていても、誰からも「個性的」なんて言われたりしないのです。
今読んでも、読み応えのあるキャンディ・キャンディ。でも、キャンディの年が、いくら数えても、1才分、計算が合わないのです。しかし、これもまたアジのうち。深く考えず、物語だけを楽しむことにします。