2才の頃の心もよう

私の記憶に間違いがなければ、この冬の寒さは格別です。
東京だって、明日の朝は、−1.6℃とかって天気予報で言っていました。これはきっとベランダの水入れの水が凍りつくに決まっています。新年早々のサプライズです。
寒さが厳しくなると同時に乾燥も進んでいるらしく、油断してたzabbonのお肌に小じわができていました。びっくり!
それに、しわができかけているところって、実はヒリヒリすることも発見。だから、ヒリヒリ=「用心しやがれ」のサインなんだなぁと気づきました。よく、自分の体の声を聞きなさいって言うけど、言葉でしゃべってくれるわけではないのでわかるわけないじゃん、などと思ってました。でも、こんな風に、サワサワって伝えてくるのが体の声。だから澄ますのは耳ではなく五感全部。忍者のように全感覚を動員、全方位方向にまんべんなく行き渡らせないといけないのです。
難しいのです。でも、人間って、言葉を得るまで普通にこれをやっていたはず。2才の頃のzabbonもきっとそうだったに違いありません。
2才の頃、zabbonは高松に住んでいました。うんと昔です。ため池の近くの家に住んでいたんだそうですが、あまりに小さい時だったので、全然覚えていません。
行ったって何も思い出すわけなく、だから執着心もなく、それで、ン十年も経ってしまいましたが、この年末、そこを訪ねる機会を得たので行ってきました。
果たして、高松の元自宅のあった地域に足を踏み入れても予想通り、「おお」とか「あっ」とか「はっ!」というものは何もありませんでした。
でも、ため池とその上に広がる青空、そして、その青い空を北風にあおられてプカプカと流れていく白い雲を見ているうちに、のどか〜な気分になってきました。
ここはいいところだなぁ。いいところに住んでいたんだぁ。
そして、2才のzabbonもそんな風に感じていたこと、これがこのままずっとずっと続くものだと思っていたに違いないことが、ふと胸に降りてきました。
2才といえば、あの世からこの世にやってきて2年ちょっとしかたっていない頃。言い換えれば、2年以上前はあの世のヒトだから、この世のことはまだ何にもわかってなくても致し方ない頃。毎日なされるがままに暮らして過ごすだけの頃。
2才のzabbonには、母、家族(父と兄)、自分の家、そして、連れて行ってくれる近所が全世界。この全世界をぷかぷかと浮き流れる日々を五感全部で感じ取り、温かくて穏やかで安心でのどかに幸せに暮らしていたんだと思います。もちろん愛もあったんだと思います。
しかしながら果たして(←今回二度目の「果たして」)、この世は、すなわちzabbonの半生は、その通りのものだったのか?…というと必ずしもそうではなく。それなりに紆余曲折、アップダウン、棚からぼた餅、選択の成功と失敗、まさかそんなのサプライズ、艱難辛苦、人生万事塞翁が馬、人生至る所に青山あり等々のバラエティに富んだ様相を呈しております。それらが向こうからやってくることもあれば、こっちから好きで首をつっこんだこともあります。そして、今もそれが続いております。存外に楽しいものです。
思えば遠くにきたもんだ。まだまだ遠くに行ってやる。