「高尾」という名前の高級ぶどう

zabbon2007-09-29

一昨日の晩、母から電話が来ました。
なんでも、「去年ももらった『高尾』っていう、ぶどうをまた頂いたんだけど、zabbonのところで食べる?」とのこと。 そういえば、去年の今頃、そんなぶどうを転送してもらって、食べた記憶がうっすらと甦ります。でも、ざぼんに記述しなかったので明確な記憶が甦りませんでした。やっぱり、ざぼんに、食べたものとかその日の出来事とかをつらつら書き綴ることは、無駄なことではないようです。
で、ぶどうですが、どんな様子のものだったのかをハッキリ思い出す前に、「うん、食べる」と承諾のご返答を述べさせて頂きました。だって、黙りこんで一生懸命思い出している間に、その沈黙を「No」と受け取られ、「じゃぁ、いらないんだったら、ご近所さんにあげちゃうわね。じゃぁね(ガチャン)」などと電話を切られてしまっては悔やんでも悔やみ切れません。 電話での沈黙というのは、このように誠に恐ろしいものなのです。(いや、よそ様の親子関係であれば、こんなことはあまりないに違いありませんが。)
そんなzabbonの心の内を見越したかのように、母が「高尾ってぶどうは、巨峰の種がなくって、甘くってとてもおいしいの。皮も食べられるのよ。なかなか手に入らない珍しいぶどうよ。」などと解説をしてくれます。 その説明で、頭の中のパズルの最後がパチンとはまるかのように全部思いだし、大変楽しみになりました。
そして、今朝方、いよいよ届きました。 開けてみると記憶通りの佇まいで、そこに「高尾」がいました。
色は巨峰色。でも、やや細長い形の粒である点が、巨峰と違います。 そういえば、名前を忘れましたが、こんな形の緑色のぶどうもありましたが、もしかしたら、それと親戚筋のぶどうかもしれません。 しかも、一房ずつ、柔らかい白い紙で包まれています。こんなに大切に扱われたぶどうを自宅に招き入れたのは、Decade単位の昔のことかと思われます。それがなんと3房も箱に入っていました。 ちょうど食べ頃を迎えているせいかボロボロと粒が外れますが、そういうのは、これ幸いと洗いながらパクパク食べたところ、こりゃうまい。 味も見た目と同じ巨峰ですが、すごく甘い! 酸っぱいのが苦手なzabbonが不安のかけらも感じずに口に放り込むことができる甘さです。香りも甘くて、味と香りの甘さ二重奏です。 
でも、皮も食べられるというのは、いささかギモンが…。たしかにのどは通りますが、「ムリして食べてる感」が伴うのは否めません。しかし、植物性繊維質の供給に役立っていると前向きに捕らえ、頑張りました。(人生、精神論だけでは乗り越えきれないこともある、ってことを学ぶによいアイテムともいえましょう。)
で、あらためて、箱を見てみると山形県のJAが発送元になっており、「高級ぶどう『高尾』」と書いてあります。自ら「高級」を名乗る誇り高きぶどうです。 こういう自信に満ちあふれた物品の代表格としては「六甲のおいしい水」がありますが、その他、身近な似た事例としては、仕事の場面でかますzabbonのハッタリなどが挙げられます。 zabbonの場合は、自ら追いつめ、痛い思いをすること度々ですが、この「高尾」ぶどうは、真に実力に裏付けられた「高級」であり、「自ら最上級を名乗るもの」のあるべき姿です。 
ふと閃きます。 このぶどうには、母の「このぶどうの語る教訓を得て欲しい」との願いがこめられているのだと。 遠くにいても、愚かな子供を思い、ものに託してメッセージを送る母は、なんと偉大なことよ。(←いろんな意味で、ホントか?)
大いなる感謝の気持ちを込めた「ごちそうさまでした〜!」をお返しします。 そして、また来年もお待ち申し上げております。よろしくね〜 (^^)/~~